裏道国際派を自称する米坂浩昭氏は、日本国内でソフト系の開発コンサルタントがまだ主流でなかった時代、海外での開発支援や独自の経験に基づき、
アイ・シー・ネットを創業した。それだけに日本の開発コンサルタント業界を取り巻く問題を深刻に捉えている。世界に伍する競争力を持つために、必要なこととは何なのだろう。現在はアイ・シー・ネットにおける経営顧問を務める傍ら、第三世界のビールを集めた「
クワトロエス・プラス」というバーを立ち上げた米坂氏に尋ねた。
—開発援助の仕事の振り出しは、JICAだと聞きました。
JICAに入ったものの大学を卒業したばかりであったため、ODAや開発についてよく知らなかった。20代後半にアメリカへ留学したことで、ようやく開発問題について多角的に見られるようになった。
帰国後、キャリアパスについて悩み、その結果、開発援助のマネージャではなくフィールドに出る専門家の道を選んだ。やはり自分のキャリア形成を人任せにしたくはなく、「自分は現場の人間だ」と思うところがあったからだ。
—その後、バンコクの東南アジア漁業開発センターで3年働き、JICAを辞め、国連機関であるローマのIFAD(国際農業開発基金)に転職。そこを選んだ訳は?
JPN
IFADは農村の貧困対策プロジェクト実行に必要な資金を融資する金融機関だが、ソフト系の開発支援を中心にしていた。80年代の日本の援助の95%はハード系であったことと比べれば、非常に斬新だった。異なる経験をする中で、「これからの援助はソフト系が中心になるだろう」と確信した。
また、日本のように手続きを重んじることなく、結果の合理性を重視する仕事の進め方も役立った。
—IFADで働いた経験を活かし、帰国後、アイ・シー・ネットを起業しましたが、既成のポストに興味はなかった?
これからは、ジェンダーや教育、法の整備、組織づくりといった社会ソフトをメインにした開発コンサルタントが絶対必要になると考え、アイ・シー・ネットを立ち上げた。
キャリアパスについては、結局は損得で決めるというつまらない話ではなく、自分の気持ちにどっちのほうが素直かを優先させてきた結果だと思う。
—ソフト系の開発コンサルタントは当時日本では少なかった?
ハード系のコンサルタントは戦前からの経験の蓄積もあり充実していたが、行政組織の能力向上や女性差別、貧困層をどうするか。途上国の市場整備といった、目に見えないが社会にとって大切なことへの支援について、日本は弱かった。
たとえば、灌漑施設をつくるにあたり、ダムや灌漑水路を完璧につくることはできる。しかし、日本のように農民が水利組合をつくり、そこで調整する習慣のないような国で施設をつくってもうまくいかない。むしろ、村内で賛同しない人が夜に水門を壊すなど、対立関係が生まれる。開発においてソフト面がいかに重要かというひとつの例証だろう。
—日本には、目に見えないものを扱うノウハウがない?
そうではない。日本の漁業協同組合がいい例だが、江戸時代から漁村周辺の海に共同漁業権が設定され、村の共同で資源管理しているが、世界的に注目されている。日本の中にあるモデルと様々なモデルを参照する必要がある。海外の著名な例としては、グラミン銀行型のマイクロクレジットが挙げられる。
—マイクロクレジットは、当初、貧困層に融資すれば貸倒れが頻発し、さらに貧困は進むという定説を覆しました。開発プロジェクトを行う上で、現状分析の際の観点が問われます。
ケースは無数にあり勉強しないといけないが、開発の実務者としては結局は総合力と経験がものをいう。それらを磨くには、現場でひとつひとつ仕事をして学ぶしかない。
これに関連して、時々、若い人に考え違いが起きるのは、日本の会社組織での経験は、開発の仕事に役立たないというものだが、そうではない。会社で任された仕事をどうマネージしていくかという経験は、十分参考になる。そして日々自分の頭で考える姿勢が重要だ。なぜなら本で読んだことを実践してもコピーでしかなく、途上国での開発の現場では定型的モデルがそのまま使えることはほとんどないからだ。
—考えた結果が必ずしも実を結ばないことに不安を覚える人もいるでしょう。
プロジェクト全部が失敗することは少ないにせよ、コンポーネント単位で見れば実践したことが、予想外の障害で駄目になるなどは織り込み済みだ。だから場合によって、歩留まりを考え、少なくとも三分の二が成功するよう手堅く行うし、逆にブレイクスルーをつくらないといけないと判断すれば、三分の二が失敗してもいいという気持ちで、新しい試みを打ってみる。
—ところで、日本のコンサルタント開発業界の現状はどうなっていますか?
相当強くなっており、このまま世界で勝負させたら決して負けないだろうと思う。ただ、他流試合をしないでいたら、日本だけでしか通用しない特殊な文化になってしまう。
—その構造的な問題とは?
これまで円が強くなる過程で、国際機関の仕事が魅力を失ってきた。また、ODA予算が伸びている間は、日本のODA以外へ行く必要がなかった。しかし、ODA予算が減ってもとに戻ろうとしても、海外の拠点も経験あるエンジニアももういないというのが現状ではないか。
また、JICAが日本のコンサルタントを使い続けていることも長期的に見れば問題の方が多い。世界標準でコンサルタントを使うようになればいい。
いつかは発注書もプロポーザルも英語で作成することになるだろうし、現状の仕組みでは欧米のコンサルタントと裁判になるケースも出てくるだろう。しかし、これまで通り日本語ベースのコンサルタント選定を続けるのであったとしても、海外企業へ門戸を開放することは可能だし、その時期だ。彼らは日本人を雇うなり、日本の会社とJVを組むなりして参入してくるだろう。それで何も不都合はないと思う。開発業界もいつまでもぬるま湯に浸かっていようとしてはいけない。
—コンサル業界の今後の動向について。
日本のODAを前提にした業界のあり方は衰退を迎えつつある。ここで大きく転換するには国内市場を開放するとともに、世界市場へ出ていくことだ。また、いまの業界は企業規模があまりに小さく、世界で戦うには、中小規模が大多数を占める企業を統合していく必要があるだろう。
国際開発コンサルタントと言いながら英語で会議ひとつできないコンサルタントでは情けない。アメリカ人だろうが中国人だろうが、早くいい人材を取り込んで、価値の高いコンサルティングサービスを提供できる4つか5つの企業群を作らないと間に合わない。今回のサブプライム問題をきっかけにして、アメリカ及び欧州などのコンサル会社がハングリーに日本の市場開放を要求することも充分考えられる。
—その上で、この業界に就職を考えている人に向けてのメッセージをお願いします。
いまの若い人たちは、語学力はあるし、勉強熱心だ。質的には問題ない。ほかに必要なのは自分で考える姿勢の確立だと思う。すでにあるものを学ぶ意識が強いことはいい。しかし、自分で試行錯誤して見つけるしかない現場はたくさんある。どこかに真実が書いてある本があるわけではないのだから。
いくら勉強して知識があっても、そのことと自分で考えることは別のカテゴリーだ。
また、無駄なことをせず、30代前半でスペシャリストとして世界の舞台で働きたいという希望の強い人がいるが、そんなに慌てなくてもいいと思う。回り道にも価値があるからだ。
国際協力の現場では、教壇に立った経験や医療現場で働いたこと、会社や店を切り盛りした経験が求められる。途上国援助の現場では、フルセットで専門家がそろっていることはない。だから、現地に行った人間がジェネラリストの力を持ってないといけない。守備範囲の広さが大切になってくるが、それは経験で培われるものだと思う。(了)
JPN
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