
革新的な技術を有する企業と途上国のNGO、個人支援者の三者をオンライン・マーケットでつなげ、結果、途上国向けのテクノロジーを開発途上国に波及させる。そうした事業を行うコペルニク代表の中村俊裕氏のキャリアは、社名が示唆するように、ダイナミックな転回とインパクトに貫かれているようだ。
明石康氏や緒方貞子氏の国際的な活躍に刺激されて国際機関を目指すようになったという中村氏。法学部の学生だった当時、イラクのクウェート侵攻に続く多国籍軍の軍事行動に関する国際法の解釈についての文献を読んでいた。しかし、中村氏は醒めていた。
「解釈ばかりで実際の社会に対するインパクトはあるのだろうか」
問題解決の芯に迫る知識を求め、大学院では政治学を専攻。折しも担当教授は北アイルランドの紛争解決に関わってきた経験をもっていた。選挙制度を変えることで、対立関係にあったプロテスタントとカソリックが協調する政治システムをつくりあげたという。
文言によって出来事を解釈するのではなく、現実を直接的に変革するための方法に膝を打った。
「これだ!と思いました。システムを上手く変革することによって、紛争解決につながる。以来、制度を変えることによって政治や人々の暮らしにダイレクトなインパクトを与えられる仕事をしたいと思うようになりました」
大学院卒業後にジュネーブで憧れの国連でインターンの機会を得た。1年半ほどジュネーブで働いたが、プロフェッショナル・スキルを得るために、民間企業で働いたほうが良いというアドバイスを受け、東京の大手コンサルティング会社に就職する。
転機は2002年、27歳のとき訪れた。国連JPOプログラムで国連東ティモール支援ミッションに派遣され、行政能力を強化するプロジェクトに携わった。国家創成の現場に立ち会えたダイナミズムに加え、スタッフの多くが20代だったこともあり、多忙であっても楽しかったという。
一方、21世紀最初に独立した国にも多くの「戦後処理」が残っており、独立運動に関わった兵士の社会復帰が問題になり始めた。国家同士の紛争が解決した後に国内のスケールで争いの種が芽吹き出した。中村氏は元兵士の社会再統合のプロジェクトに携わることになった。
社会への再統合は主に職業訓練を通じて行われた。たとえば石鹸をつくり、裁縫や溶接技術を学ぶ。しかし、購買者がいないとそれらは役立たない。「経済をまわしていかないと統合は難しい」ことを痛感した。
04年に国連開発計画の危機予防・復興支援局ジュネーブ本部に異動するも、同年のスマトラ地震による津波の被害額算定と復興プラン作成のためインドネシアへ飛ぶ。津波に対する被害算定の方法論も確定していない中での作業は昼夜を問わず行われたが、激務の最中気づいたことがある。
「個人や企業の援助資金がODAに勝るくらい大きい」。ここで民間のポテンシャルを再確認した。
その後、シエラレオネで活動するなどキャリアを積む一方、国家制度を編成する仕事の重要性と同時に、その限界も感じ始めた。いくら中央政府制度を変革しても、国家開発戦略を書いても、日々を生きる人の暮らしはすぐに改まらない。また、ODAを通じた開発援助は、少数の「開発専門家」を超えてもっと色々なアクターを巻き込むことによって、よりイノベーティブな支援が出来るのではないか。
中村氏は、そうした思いからニューヨークの国連開発計画(UNDP)を今年4月に休職、コペルニクを立ち上げた。
政治学を志し、インパクトある制度づくりに従事し、その限界を知った上で煮詰めてきたのは、生活が激変するような衝撃力のある事業を政府や国際機関を経由せず行う発想だった。スマトラ地震の援助金の集まり、Kivaなどのオンラインギビングマーケットの広がりが後押ししてくれるように思えた。
「途上国の問題は多岐に渡るが、水/衛生・教育・農業・保健・環境/エネルギーといったいくつかの共通の問題に集約されてくる。これらの共通した問題に対する解決メニュー(テクノロジー)を最初に提示して、途上国のNGOがその地域で適当だと考えるテクノロジーを選んでもらい、どのように問題を解決したいのかを提案書で説明してもらう。その提案書に対して、個人が寄付を行い、必要金額が集まった時点でテクノロジーをNGOに発送するという仕組みを作った。」
ここでいう技術とは、「最先端ではなく、ローテクとクラフトマンシップの交わったもの。ただのローテクでは汎用品になる。安くて頑丈で電気がなくても動く、といった制約条件の中で、想像力とクラフトマンシップを駆使して出てきたモノを主に取り扱っている」。
つまりは快適で安全な生活を遮る問題を解決する製品だ。日本はものづくり大国としても名高く、ものづくりで社会的な課題にも応えてきた国だ。しかし、残念ながらこれまで日本の中小企業やデザイナーには途上国に対する関心が低く、コペルニクで扱う技術に日本発のものがまだない。
そこで中村氏はこの夏、コペルニクのプロジェクトとしてSee-Dコンテスト(シード・コンテスト)を開催し、主に日本国内から幅広く途上国向け製品のアイディアを募集する。このコンテストでは、シンポジウムやワークショップの開催、ネット上でデザイン改良を進めるためのポータルサイトの設置などを通じて、優秀な案件の事業化を目標とする。
「精巧な機械がない時代からものをつくってきた町工場で働く5、60歳の人に外国で開発された途上国向けテクノロジーを見てもらったことがありますが、すごく興奮していました。“ここは段差つくるべき”とかアイデアがすぐに出て来る。こういう人たちを巻き込んで楽しい工作をしたい」
発想とそれを形にする技術には申し分ない。きっかけさえあれば、途上国への距離感も変わって来るはずだ。
コンテストを進める一方、力を注ぎたいと考えているのがDIYテクノロジー(自分で作れる技術)だ。途上国で簡単に安価で入手できる材料や既製品を組み合わせ、生活の質を向上させる製品をつくる技術を広げたいと考えている。たとえばMIT(マサチューセッツ工科大学)が開発した、トウモロコシを剥く作業を効率よく行える器具などがある。
「ローカルインベンターは発展途上国の至る所にいます。そういう人をつなげてローテクのネットワークをつくりたい。日本で言うと、町工場のネットワークみたいな感覚です。そういうところをつなげて持続的に必要な商品を開発する仕組み、アイディアを循環させていかないと、BOPビジネスは先進国だけのフィーバーに終わってしまいます」
グローバルな問題解決を集合知によって解決していく試みは始まったばかりだ。
JPN